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財団の歴史

国内におけるドナルド・マクドナルド・ハウス設立の経緯を、 前理事長である開原成允氏へインタビューしました。

  • プロローグ

    日本の医療を市民の協力で変えていく必要がある。
    それは日本に新しい医療文化を創ることである。

  • 建築場所

    土地問題は3年がかりで2000年になってやっと決着。

  • 財団の設立

    手続きも大変で、一時はハウス建設に間に合わないのではないかと心配する時期も…。

  • ハウスの建築と運営

    「ドナルド・マクドナルド・ハウス」は、日本の社会にこれまでになかった発想の事業で、
    一般市民が病院や病気の人を支えるという新しい医療文化の始まりを意味しています。

プロローグ

日本の医療を市民の協力で変えていく必要がある。
それは日本に新しい医療文化を創ることである。

私が国立大蔵病院院長に就任したばかりの1996年の夏ごろ、スタンフォード大学の社会学者である西村由美子さんが大蔵病院に立ち寄られました。当時、大蔵病院では、国立小児病院と一緒に「国立成育医療センター」という子どもと母親のための病院を創設するプロジェクトが動き出していました。西村さんは、「アメリカの小児病院には必ず『ドナルド・マクドナルド・ハウス』があるのに、日本にはなぜないのでしょう?」と言われました。私も、ドナルド・マクドナルド・ハウスが実現できたら、日本の医療環境を変えることができるかもしれないと思い、「ぜひやってみましょう」と答えました。 ドナルド・マクドナルド・ハウスを作るには、日本マクドナルド社の支援が必要でしたが、社長の藤田さんは、2人ともお名前を聞いたことがあるのみで、どうしてお目にかかったらよいのかが最初の難問でした。この仲介の労をとってくださったのは、大和証券投資信託副社長(当時)の越田弘志様で、1996年12月に藤田社長に西村さんと共にお目にかかりました。 藤田社長に、私は「日本の医療を市民の協力で変えていく必要がある。それは日本に新しい医療文化を創ることである」とお話ししました。藤田社長はこちらの主張にじっと耳を傾けておられましたが、その後に、「私は、これまで日本の医療は国がきちんとやっているので、民間が援助することは必要ないし、また、ボランティアは育つ環境がないと思っていた。しかし、最近では、変わりつつあるのかもしれない」と話され、日本にもドナルド・マクドナルド・ハウスを作ることを検討しようと言ってくださいました。私と西村さんは天にも上るような嬉しさを感じたことを今でも覚えています。 明くる年の2月、藤田社長から正式の手紙が届き、成育医療センターにドナルド・マクドナルド・ハウスを作ることを正式に決定したと書いてありました。

建築場所

土地問題は3年がかりで2000年になってやっと決着しました。

ドナルド・マクドナルド・ハウスを作るとなると、その受け入れを考える必要があり、それは大蔵病院院長である私の責任でもありました。第一の問題は、どこにハウスを建てるかということでした。大蔵病院の裏手には丁度適当な大きさの民有地がありましたので、そこの一部を売ってもらえないかと地主さんを訪ねて頼んでみました。こんな素晴らしいプロジェクトなのだから、できれば安く売ってもらえないかと思ったのですが、大蔵病院の周辺の地主さんたちは戦時中に国に土地を取り上げられた記憶が残っていて、この案は諦めざるをえませんでした。 そのため、次に大蔵病院の敷地である国有地に建てることを考えましたが、制度上多くの難問がありました。国有地に建物を建てた場合には、国に寄付することになるのが通常でした。しかし、これではドナルド・マクドナルド・ハウスの自由な活動ができなくなってしまいます。その時に出てきたのが、敷地の国有地の一部をドナルド・マクドナルド・ハウスが購入するという案でした。この案についても、売却方法などでいろいろ困難がまだありましたが、大蔵病院の事務や厚生省の方々の努力できちんと解決されて、土地問題は3年がかりで2000年になってやっと決着しました。

財団の設立

手続きも大変で、一時は、ハウス建設に間に合わないのではないかと
心配する時期もありました。

ドナルド・マクドナルド・ハウスを作るとなると、その設立の主体として新しい財団を作る必要がありました。しかし、いまどき財団の新設は非常に難しく、これまであった財団が一つなくなった場合にのみ一許可されるという暗黙の規定がありました。また、財団の管轄を厚生省にお願いするとしても、主管課はどこなのかも問題でした。 その時に親身になって相談にのってくださったのは、前国立病院部長であった炭谷茂社会・援護局長でした。炭谷局長は、ボランティア活動をよく理解してくださって、それでは社会・援護局の管轄で財団を作ろうと言ってくださいました。それからの手続きも大変で、一時は、ハウス建設に間に合わないのではないかと心配する時期もありましたが、マクドナルド社担当の田子公道さんの努力と厚生省担当課のご理解のおかげで、1999年4月日、木村尚三郎理事長以下素晴らしい方々を理事に、また東大から長瀬淑子さんを事務局長に迎えて、新しく財団が発足しました。財団発足にも3年近くかかったことになります。 -------------財団発刊情報誌「マクドナルドハウス」No.2(2000年)より抜粋

ハウスの建築と運営

「ドナルド・マクドナルド・ハウス」は、日本の社会に
これまでなかった発想の事業で、 一般市民が病院や病気の人を
支えるという新しい医療文化の始まりを意味しています。

上記のような経緯で幕があがったハウスですが、あがってからは休憩の幕がしまる暇もなく、2001年冬に「せたがやハウス」をオープンさせてから矢継ぎ早に「せんだいハウス」「こうちハウス」「おおさか・すいたハウス」が運営を開始し、今まで多くのご家族がハウスを利用しています。 第1号ハウス開設までは予想外に長い時間がかかったようにも思いましたが、今から考えてみると関係した人がすべてこの事業の素晴らしさを最終的には理解してくださったからこそ、ここまで来ることができたのだと思います。 この事業の素晴らしさは、まず、病気の子どもに家族と過ごす時間を与えたいという発想、ボランティアが病気のこどもの家族を助けるという運営方法、そして全世界に300ヶ所近い同じようなハウスがあるという実績です。「ドナルド・マクドナルド・ハウス」は、日本の社会にこれまでなかった発想の事業で、一般市民が病院や病気の人を支えるという新しい医療文化の始まりを意味しています。こうした新しい発想の事業であるからこそ、「ドナルド・マクドナルド・ハウス」の話を聞いたすべての人が協力しようという気持ちになるのだと思います。

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