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STORY20

ハウスは泣いて
ばかりいた私を
強くしてくれた場所

ハウス利用者

小野寺 真由美さん(お母さん)凛ちゃん

東日本大震災の最中での妊娠そして出産

妊娠がわかり母子手帳をもらってすぐの2011年3月、東日本大震災がありました。
受診していた産院は被災し、自宅は孤立した離島、初めての妊娠、真っ白な母子手帳…
やっと検診を受けられたのは妊娠中期もだいぶ過ぎた頃でした。ところが今度は、お腹の赤ちゃんに病気があることがわかり仙台のこども病院で出産することになりました。
2011年9月娘は誕生しました。先天性二分脊椎症という病気でした。すぐにNICU(新生児集中治療室)へ。翌日には9時間におよぶ手術でした。やっと会えた娘は小さな体に大きな手術の傷跡と全身につながれた医療措置、涙が止まりませんでした。
初めての出産、まだまだ日常生活も心配な日々の中でした。出生後すぐに大きな手術を頑張った娘は、いつ退院できるかもわからず、私だけ先に退院が決まりました。


「離れたくない!」そう強く思っていた時、病院そばの「せんだいハウス」の存在を知りました。ハウスからなら、毎日娘に会いに行ける、母乳もたくさん届けられる、そんな場所があるんだ、と心からホッとしたのを覚えています。
とはいえ産後間もない体調と、心配が続く娘のこと、心身ともに疲れきっていました。でもハウスには、そっと寄り添ってくださるスタッフやボランティアの皆さんがいてくれました。そして、同じように病気と闘っているお子さんがいるご家族とたくさん出会い、お話をして、励まし合って、そんなハウスでの日々で「うちだけじゃない、たくさんの子供や家族が病気と闘っているから頑張ろう!」と、前向きに考えられる時間が持てました。泣いてばかりいた私を強くしてくれたのはハウスの存在のおかげだと思っています。
本当にありがとうございます。

現在の凛ちゃん

そして現在、娘は2人の妹のお姉ちゃんに

早いもので娘も10歳になりました。今、娘がはまっているものはすみっこぐらしのキャラクターです。
妹も、二人できました。娘はお姉さんとなり、妹たちの面倒も見てくれます。
県内とはいえ、県北にある離島。通院には片道数時間かかります。今でも定期的に検査や外来受診の度にハウスを利用させてもらっています。
いつもホッと心休まる空間と、快適で何不自由なく滞在できる環境を整えてむかえてくださるハウス。
本当に感謝でしかありません。たくさんのご支援のもと、これからもたくさんのご家族が笑顔でいられますように。心から祈っています。(小野寺 真由美さん)

私にできる事で頑張りたい!
将来の夢はパラリンピック選手になること

通院するとき、ハウスにお母さんとお泊まりするのが楽しみです。いつも明るく、優しく話しかけてくれるハウスの皆さん、ありがとうございます。これからも宜しくお願いします。 
この夏パラリンピックを見て、私は新しい夢ができました。パラリンピックの選手になることです。選手になるのがむずかしいときは、パラリンピックをサポートする仕事をしたいです。
メダルをとった選手の人が「自分のためだけにやってるんじゃない、見ていてくれる誰かに希望や勇気をもってもらえたら嬉しい」と言っていたのがとても心に残りました。
車いすの私でも、きっと何かできることがあると思うのでがんばりたいです。
(小野寺 凛ちゃん)

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お話しを伺った人

小野寺 真由美さん(凛ちゃんお母さん)
凛ちゃん
せんだいハウス利用ご家族
 
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ハウスは温かい気持ちの
詰まったありがたい存在
ハウス利用者松林 瑠美子さん